仏教の死後

仏教では、死後について「輪廻転生(りんねてんせい)」という考え方があります。

輪廻転生とは、生きている間に犯した善悪の業=カルマによって、死後に来世の生まれ変わりが決まるというものです。

具体的には、良い行いを積んでいた人は次の生まれ変わりでより良い生を得られ、悪い行いを積んでいた人は苦しい生を送ることになります。

これを『因果応報(いんがおうほう)』と言います。

現在では、悪いほうに用いられることが多い因果応報ですが、本来は良いほうにも用いられます。

また、仏教では死後の世界としてす「六道(ろくどう)」という概念もあります。

これは、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天界という六つの世界に分かれているとされています。

それぞれの世界には、それに応じた苦しみや幸福が存在し、生前の業によって次の生まれ変わりがどの世界になるかが決まります。

仏教においては、死後の世界や輪廻転生という考え方を通じて、人々が自己の行いに責任を持ち、自己改革に励むことを奨励しています。

そして、この輪廻転生のサイクルを抜け出し、一切の煩悩や穢れのない、仏や菩薩の住む清浄な国土=『浄土(じょうど)』に生まれ変わることが、仏教における最終的な目的とされています。

輪廻転生の段階として、この世に生を受けた時を『始有(しう)』、生きている間を『本有(ほんう)』、死ぬ時を『死有(しう)』と言い、死んだ時から次に生を受ける時までを『中有(ちゅうう)』と言います。

日本では、仏教がインドから伝わった際に中国の道教思想の影響を受け、死出の山や三途の川などでお馴染みの冥途の旅の伝承が残されています。

また、閻魔大王をはじめとする十王による審判が行われ、来世の行き先が決められるとされています。

臨終を迎えると、閻魔大王が遣わした、肉体から生命力を奪う奪精鬼(だっせいき)、肉体から魂を引き剥がす奪魂鬼(だっこんき)、肉体を腐らせる縛魄鬼(ばくはくき)という三体の鬼が現れます。

この内、奪魂鬼が魂を冥途の入り口へ連れていきます。

この時、生前に悪行を積み重ねた者には火車(かしゃ)という獄卒が現れすぐさま地獄へ連れて行ってしまうそうです。

奪魂鬼により連れて来られた冥途の入り口には、800里もあるとされる死出の山が連なっています。

7日間かけてようやく死出の山を踏破した先にあるのが3通りの渡り方があるとされる三途の川、そのほとりが賽の河原です。

賽の河原とは、親より先に亡くなった子供の魂が行き着く場所です。

子供たちは、賽の河原で小石を積んで塔を作るのですが、完成間近になると鬼がやってきて崩してしまいます。

子供たちは石を積み上げては崩されて、また石を積み上げては崩されて、という苦行を延々と繰り返させられるわけですが、ある時、地蔵菩薩が現れて救ってくださるのだそうです。

また、三途の川のほとりでは十王の一人、秦広王(しんこうおう)による最初の審判が行われます。

最初の審判は殺生罪、虫一匹でも殺せば罪になります。

この審判により、三途の川の渡り方が決められます。

無罪の者は金銀七宝で作られた橋を、罪の軽い者は浅瀬を、罪の重い者は急流の深瀬を渡らされるそうです。

虫一匹も殺さない者はいませんから、大概は橋の上を歩いて渡ることはできませんが、渡し賃を渡せば舟に乗ることができるそうです。

ようやく三途の川を渡りきると、奪衣婆(だつえば)、懸衣翁(けんえおう)という2人の老人が待ち構えており、奪衣婆が衣を剥ぎ取り、懸衣翁が衣領樹(えりょうじゅ)という木に掛け、木のしなり具合で濡れた衣の重さ=罪の重さを計ります。

このため、現世では故人様に死手の山を乗り切るためのわらじや杖、手甲や脚絆などの旅支度を整えさせ、三途の川の渡し賃として六文銭を持たせます。

また、奪衣婆から衣を剥ぎ取られないように、死装束は生前とは逆に左を前にして着せます。

ここからは7日ごとに審判が行われます。

14日目の初江王(しょこうおう)は偸盗罪(窃盗)

21日目の宋帝王(そうていおう)は邪淫罪(不貞行為)

28日目の五官王(ごかんおう)は妄語罪(嘘)

それぞれの審判が行われ、臨終から35日目、5番目に現れるのが閻魔王です。

閻魔王により、六道の行き先が決定されます。

42日目の変成王(へんじょうおう)は六道の中の細かな行き先が決められ、

49日目の泰山王(たいざんおう)はどのような姿で生まれ変わるかが決定されます。

このように、冥途では7日毎に厳しい審判が行われるため、現世では遺族が故人の冥福を願い、7日毎に法要を行います。

これを、忌日法要と言います。

現在では、親族が頻繁に集まれないこともあり、三途の川を渡る7日目の初七日法要と、行き先が決定する49日目の四十九日法要のみ行うことが多いです。

忌日法要を含め、日々手を合わせたり、仏壇の花を替えたり、故人様の冥福を願うことを、追善供養(ついぜんくよう)と言います。

追善供養を行うことで故人の罪が軽くなるとされ、また追善供養を行った自身も、善い行いをしたとして現世の罪が軽くなるそうです。

さらに、百箇日には平等王(びょうどうおう)、一周忌(死後1年目)には都市王(としおう)、三回忌(死後2年目)には五道転輪王(ごどうてんりんおう)が、それぞれ再審を行い、行き先が決まった後でも浄土へ行く可能性は残されています。

上記の教えは宗派や地域により少しずつ解釈に違いがあります。

浄土真宗では、『即得往生(そくとくおうじょう)』といって、臨終の瞬間、時をおかず直ちに極楽浄土に生まれ変わるとされます。

これは、阿弥陀仏(あみだぶつ)のお力とされます。

阿弥陀仏が慈悲の力でもって、この世のありとあらゆる生物を救済してくださるのだそうです。

これを、『他力本願』と言います。

いずれにしても、仏教の教えは慈悲深いですね。

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