『お経』とは、お釈迦様の説かれた教えを弟子たちがまとめたもので、『経典(きょうてん)』とも呼ばれます。
お釈迦様が亡くなられた後、大切な教えを忘れないようにと弟子たちが集まり、記録していったものが『お経』です。
このため、多くのお経は『如是我聞(にょぜがもん)』=「このように私は聞きました」という一語から始まります。
また、お経には、
お釈迦様の説法がまとめられた『敬蔵』
弟子が守るべき規律がまとめられた『律蔵』
そして、敬蔵と律蔵についての注釈や思想が書かれた『論蔵』
の三種類に大別され、『敬蔵』『律蔵』『論蔵』の三種類を合わせて『三蔵』と言います。
西遊記でおなじみ三蔵法師とは、三蔵に精通した僧侶のことで、経典の翻訳に従事する僧への尊称です。
ちなみに、西遊記の三蔵法師は、玄奘(げんじょう)という名前があり、玄奘三蔵と呼ばれたりもします。
西遊記も天竺=インドへ経典を取りに行くお話でしたね。
日本では平安・鎌倉時代に仏教がいくつかの宗派に別れましたが、宗派ごとに拠り所となる経典が異なり、各宗派の教義の拠り所、中心となる経典のことを『根本経典(こんぽんきょうてん)』と言います。
天台宗と日蓮宗の根本経典は『法華経(ほけきょう)』になります。
『法華経』とは、お釈迦様の晩年、8年の間に説かれたお釈迦様の集大成ともいえる教えだそうです。
『法華経』は28章に分かれており、教えの内容から、前半部分の14章を『迹門(しゃくもん)』、後半部分の14章を『本門(ほんもん)』と言います。
迹門の中心となる教えが、第二章の『方便品(ほうべんぼん)』で、『法華経』を説く前に説かれた数々の教えは仮の教えであり、『法華経』こそ生きとし生けるものすべてが成仏できる真実の教えである、と説かれています。
本門の中心となる教えは、第十六章の『寿量品(じゅりょうぼん)』です。
お釈迦さまはインドで初めて生まれ出家され亡くなられたのではなく、実は、はるか遠い遠い量り知れないほどの過去に成仏されており、お釈迦さまの寿命は永遠不滅であり、今も、そしてはるかなる未来にいたるまで、常に私たち衆生(しゅじょう)=人間をはじめすべての生物を救い続けて下さっていることが説かれています。
お経は総じて長いものが多いので、お葬式では一部だけ唱えられることが多いですが、法華経ではこの方便品第二と寿量品第十六は必ず唱えられます。
お葬式では、寿量品からお焼香をすることが多いです。
真言宗は、『大日経(だいにちきょう)』『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』という二つの根本経典があります。
『大日経』とは、大日如来の説法についてまとめたもので、その真理、つまり悟りの世界について説いています。
『金剛頂経』とは、大日如来の真理を体得して、悟りを開くための方法について説いています。
お葬式では、『理趣経(りしゅきょう)』を唱えます。
『理趣経』とは、仏の真実の境地に至る道を説いたお経です。
「サンマ丸焼き」と聞こえる面白いお経、と言ったら怒られますね。
お葬式では、この理趣経からお焼香をすることが多いです。
浄土宗、浄土真宗は『浄土三部経』と言って、『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』、『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』、『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』の三経典を根本経典としています。
それぞれ阿弥陀仏とその本願、またその仏国土である「極楽」に関する教えなどが説かれています。
浄土宗のお葬式では、浄土三部経のいずれかが始まるとお焼香になることが多いです。
浄土真宗のお葬式では、お経ではなく、開祖親鸞の教えである『正信偈(しょうしんげ)』が唱えられ、この正信偈からお焼香をします。
臨済宗と曹洞宗は、『禅宗(ぜんしゅう)』と言って、経典などを学ぶよりもひたすら瞑想することによってお釈迦様の精神を直接みること、つまり悟りを開くことを教義としているため、根本経典はありません。
曹洞宗には、開祖道元(どうげん)がお釈迦様の教えをまとめた『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』という宗典があります。
曹洞宗のお葬式では、『正法眼蔵』からさらに大事な箇所を抜粋した『修証義(しゅしょうぎ)』を唱えられます。
臨済宗も曹洞宗も、『般若心経(はんにゃしんぎょう)』『観音経(かんのんきょう)』『大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)』『舎利礼文(しゃりらいもん)』などが唱えられます。
『般若心経』・・・
おそらく日本で一番メジャーなお経ですね。
正式名称は『般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)』といい、上記の玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典でもあります。
色即是空 空即是色
でもお馴染みです。
臨済宗や曹洞宗以外の宗派でも唱えられるお経ですが、浄土真宗と日蓮宗では平たく言えば教義に反するため唱えられません。
『観音経』・・・
『法華経』の第二十五章である観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)は、『観音経』と言われ、観音様が苦難・災難から世の人たちを救うことを誓っているお経で、天台宗や日蓮宗以外の宗派でも唱えられたり、今日では写経をされる方も多い『般若心経』に次ぐメジャーなお経です。
『大悲心陀羅尼』・・・
『陀羅尼(だらに)』とは、漢文などに訳さずサンスクリット語の原文のまま唱えられるお経です。
大悲心陀羅尼は『大悲呪(だいひじゅ)』とも言い、「もらもら」「もきもき」「さぼさぼ」などいかにも呪文といった響きのお経が唱えられます。
『舎利礼文』・・・
わずか72文字の短いお経で、お釈迦様の遺骨を礼讃する言葉からはじまり、礼拝によって真理の智慧を開き、仏として生きることを説く経典です。
臨済宗や曹洞宗では、舎利礼文からお焼香が始まり、参列者のお焼香が終わるまで繰り返し唱えられるお経です。
お経とは、お釈迦様の教えを学び、自分自身や他の人々に幸福と安らぎをもたらすことを目的としています。
お経を唱えたり写経をすることで、自分自身の内面に向き合い、心の浄化や気づきを得ることができます。
お葬式でお経を唱えるのは、故人の魂を安らかに送り届けるためです。
お経には、仏教の教えや慈悲を表す言葉が含まれており、それを唱えることで、故人の魂を慈悲深い仏様のもとへと導き、穏やかに眠ることができるように祈ることが目的とされています。
また、お経を唱えることで、参列者自身も故人の死という現実に向き合い、死生観を深めることができます。
そして、故人を偲び、生きることの大切さを再認識することができるのです。
お葬式でのお経は、仏教の教えや精神的な支えを求める人々にとって、故人への最後の思いやりの表現であり、大切な儀式の一つとなっています。